お店の歴史

 

マツモトシェイブアイスの歴史

創業1951年2月13日

 

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founder

  創立者: 松本守 (7/11/1908 – 5/11/1994)
ハワイ島ホノム生まれ
両親は広島県大竹市出身

松本(旧姓:オギ)ヘレン桃代 (7/22/1911 – 3/11/1989)
ハワイ島ヒロ生まれ
両親は山口県大島郡出身

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マツモトシェイブアイスの創業者である松本守は、日本からハワイに移り住んだ移民労働者の次男として生まれた帰米二世である。帰米二世とは、アメリカで出生した者がいったん日本に帰り、日本で教育を受けた後アメリカに戻る日系人のことである。
日本からのサトウキビ畑労働移民者の大半はハワイ島に住んでおり、守はそのハワイ島のホノムに生まれた。サトウキビ畑での労働は思った以上に過酷であり、移民労働者として働く松本家は、守が2歳の時に重労働に耐え切れず夢破れ日本に帰国することとなった。
松本家は守の父方の故郷である広島県大竹市に戻ったが、日本での生活もまた貧困極まりないものであった。家族の生計を立てるべく、守は幼少期より兄と共に酒造メーカーやその他にもいくつかの仕事に従事しながら家族の生活を支えていた。しかし収入はことのほか少なく、守が20歳の時、ハワイで生まれた者はハワイにまた戻れるということを聞き、兄と2人でハワイへ出稼ぎに行くことを決意した。2人は船で1週間近くかけハワイに到着したが、病弱の兄はすぐに病気になり日本に帰国することになった。その兄は日本に帰国後しばらくして死去。
ハワイに1人残った守は、オアフ島の北部にあるサトウキビ畑の仕事や、サトウキビ運搬鉄道の鉄道建設などの仕事に精を出した。昼夜を問わず働き、稼いだお金を日本の両親に仕送り続け、1ドル360円の時代、何十年にも渡る仕送りの積み重ねにより、ついには両親に家を建ててあげることができた。両親はいつか守が帰ってきて一緒に住むことを夢見て、家の名義を守にして待っていた。しかし守は働きづめで日本に帰ることなく両親は他界。ハワイ永住を決意した守自身も日本に帰ることはく、自分名義の家も日本にいる兄弟に譲ることとなった。
ハワイに戻った守はオアフ島ハレイワに生活基盤を固め、サカイ・ストア(旧ハレイワ・スーパーマーケット-IGAストア)でセールスマンとして働き始める。そこで商売のノウハウを身につけた守は、夜は夜間高校に通い英語と数学も勉強し商売人として少しずつ成長していった。友人の紹介で妻となるヘレン桃代と出会った守は、ハレイワの浄土宗寺院で結婚式を挙げ、自分たちの店を持ちたいという夢を叶えるため、夫婦共々身を粉にして働き続けた。守29歳、ヘレン桃代26歳の時であった。

 

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そんな折、守の働きぶりを見た知り合いの田中和夫氏が、自分の所有する店の一店舗を継がないかと守に話を持ちかけた。田中氏はハレイワに住む日系人の中でも成功しているビジネスマンであった。田中氏との縁により守は自分の店を持つことになり、それまでは田中ストアであった店が、M.Matsumoto Store, Inc として新しくオープンするに至った。1951年2月、守43歳の時であった。  店を新しくオープンしたものの、マツモト・ストアの船出は借金との格闘であった。開店当初のマツモト・ストアはカキ氷店ではなく、缶詰類、金物、食料品と客からの要望がある物は何でも販売する日用雑貨品店であり、年中無休、夜も10時まで営業していた。当時のハレイワは日系人が中心の町だったので、商売相手のほとんどが日系人であり、店頭販売に加え行商もしていた。トラックを購入する資金がなかった守は、自転車でサトウキビ畑で働く労働者の集落を訪問し、日用品や食料品の注文を取っては配達をする毎日であった。 その間、妻ヘレン桃代は店内の一角で裁縫を教えたり仕立ての仕事をしながら家計を支えていた。3人の子供に恵まれた守たちであったが、店の経営はいまひとつであるうえ、生活費の増大、定期的な日本への仕送りと、家庭の経済状況はさらに苦しくなるばかりであった。  サトウキビ畑で働く労働者は、一日中炎天下の下で働いてのどが渇くという所からヒントを得た守は、店内でカキ氷を売ってはどうかと思いつき、知り合から借りたお金でカキ氷機を日本から輸入しカキ氷を売り始めた。それが今日の松本シェイブ・アイスの始まりである。移民時代の日本人社会では「たのもし」と呼ばれる知り合い同士でお金の貸し借り制度があり、銀行から融資を得ることができない者達がお金の貸し借りを助け合っていた。守もその「たのもし」からお金を借りることができたため、成功へのチャンスを掴むことができた。

販売当初のシェイブ・アイスは1つ5セント。日本ではなじみの深いカキ氷であるがアメリカ本土から来た観光客には珍しく、1960年代になるとサーフィンやヒッピー・ブームに合わせ、世界中からノース・ショアを訪れる旅行者の数も増え始め、マツモト・ストアの自家製シロップカキ氷「シェイブ・アイス」を求める人々も年々増加していった。  貧困生活の中で育ったせいか兄姉弟はとても仲良し。店が次第に忙しくなり子供たちも小さい頃から店を手伝うようになった。長男のグレンと長女のジャネスがハワイ大学の寮生活を送るようになると、次男スタンリーが店に残り本格的に両親の手伝いをすることを決意。観光客が増えるにつれ、日用雑貨品からシェイブ・アイス、駄菓子、Tシャツ、土産物へと販売商品も変化。松本守とヘレン桃代は店をこよなく愛し、引退した後も毎日店に顔を出し続けスタンリー夫妻と一緒に商売を楽しんだが、ヘレンは77歳の時に肺炎で、守も85歳の時に心臓発作で他界した。守は病気の時でも店に出たがり、亡くなる前日まで店に座り客の相手を楽しんでいた。人生の苦楽を味わった守の口癖は「私は貧乏学校を卒業した」であった。

 

 

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